シェムリアップの北部にある「地雷博物館」。ここには数百の撤去された地雷と、その地雷撤去に尽力する一人のカンボジア男性の軌跡を展示。そのカンボジア人男性はアキーラ氏。カンボジア名の発音が似ていることから、日本人は親しみを込めて「アキーラ」、「アキラ」などと呼んでいます。かつて大虐殺(ジェノサイド)を起こして人口の3分の1を殺害したとされる、ポルポト政権勢力のクメールルージュ。そのクメールルージュの子供兵として自身も地雷を埋める作業もしたといいます。その償いとして、現在はカンボジア全国に散らばる地雷撤去に従事。
今回はアキーラさんの思いと願いが詰まった地雷博物館をご紹介したいと思います。
アクセス
場所はシェムリアップの市街地からは少し離れています。パブストリートやオールドマーケットからトゥクトゥクに乗って北上すること約30~40分ほどかかります。道中はパームシュガーを売る屋台が並ぶ通りや、アンコールワット周辺を通過するので、トゥクトゥクからのぞく風景もカンボジアらしくて楽しむことができます。
博物館周辺は何もない田園風景が広がり、周辺観光できる名所もありません。博物館を終えたあとは再び遺跡観光か、あるいは市内散策を楽しんでください。
博物館のオーナー・アキーラ氏とは
博物館内には、アキーラ氏の生い立ちからこれまでの実績などのギャラリーを展示。アキーラ氏は純粋なカンボジアで生まれたカンボジア人。当時は世界のジェノサイダーとして歴史に名を残すポルポト政権の支配時代でした。アキーラさんはまだ物心がつく前にクメールルージュ(ポルポト政権の勢力)に連れていかれ、子供兵として戦闘訓練をはじめました。その後、アキーラさんの家族はクメールルージュに殺されました。
アキーラさんが5歳になったころには、すでに地雷を埋める訓練をしていました。転機が訪れたのは13歳。ポルポト政権からのカンボジア人解放を大義名分に掲げたベトナム軍によってアキーラさんは捕まり、今度はベトナム軍の兵士としてクメールルージュと戦うこととなります。
ポルポト政権終焉後、アキーラさんは地雷撤去を主とした平和維持活動に参加。そこで、生涯地雷撤去に尽力することを誓うのです。カンボジアにはまだ600万個の地雷が残されていると言われ、外国人が行く観光エリアには地雷はないものの、ローカルエリアやカントリーサイドには暮らしの中で地雷があり、毎年何人ものカンボジア人が誤って地雷を踏んで死傷しています。
孤児を育てる場所としても
子供たちの元気な姿が飾られている展示写真の数々。地雷の被害にあって手足がない子や、両親を亡くして行き場のない子供をいまでも引き受けて、この博物館で育てていると言います。現在アキーラ氏の仕事は主に地雷撤去の依頼を受けることですが、その多くは依頼主も貧しいため、日本円で数百円で撤去を請け負っているとのこと。ただ、アキーラ氏に感銘を受けたNGOや個人投資家が現在はアキーラさんや身寄りのない子供たち、そしてこの地雷博物館を援助しています。
サッカーを通して引退した現在も世界各地で活躍している元プロサッカー選手の中田英寿氏も、ここ地雷博物館に訪れて子供たちと一緒にサッカーを楽しみました。
世界のヒーローベスト10に選出
2010年にはアメリカのCNNが選ぶ「世界のヒーローベスト10」に選出。現在でも日々地雷撤去に励んでいます。時折アキーラさんが地雷博物館に訪れることもあり、その時はアキーラさん自ら館内の説明をしてくれます。ちなみに、アキーラさんは生計を立てるため、かつて日本語によるツアーガイドの勤務経験があることから、日本語も流暢に話します。
<DATA>
名称:地雷博物館
アクセス:シェムリアップ市街地から40分ほど北上
営業時間:7:30~17:30
入場料:5ドル