ベトナム旅行では、ベトナムの歴史を知ることが観光を楽しむ上での大きなポイント。特に北部ハノイ、中部フエは王朝のおひざ元。現在の政治にも密接に絡んできます。もし何も知らないで跡地にいくと、「この廟は誰が祀られているの?」、「ディンティンホアンって誰?」、「タンロンっていうけど、首都はハノイでしょ?」と首をかしげることばかりで、歴史観光も不完全燃焼に終わってしまうかもしれません。
そこで、今回はベトナムの歴史の一端。ホアルーからハノイ、フエの繋がりを見てみたいと思います。
968年。ベトナムの本当の歴史がはじまる
ハノイから車で2時間ほど南へ下ると、世界遺産チャンアンのあるニンビン省が見えてきます。手つかずの自然と、古き歴史の一端が残る町で、近年は日本人観光客も増えてきました。そのチャンアンから車ですぐのところにある「ホアルー」は、ベトナムにとって重要な場所。ここからベトナムの歴史がはじまったといっても大袈裟ではありません。
968年はベトナムにとって大きな時代の節目となる年。ディンティンホアンが都をここホアルーに置き、本格的に政治をはじめた年となります。では、それ以前のベトナムは?とのことですが、ベトナムは紀元前から10世紀に至るまで、継続的に中国に支配されていました。この時代を"北属期"と呼び、一般的にベトナムの歴史の中の陰の部分に当たります。ベトナムが中国から独立し、本当の自分たちの時代の幕開けとなったのが968年であり、その最初の地がここホアルーとなります。
ハノイ?タンロン?北部首都の歴史
しかし、最初の王朝の場となったホアルーも、わずか40年で幕を閉じます。王が死に、皇太子が次期王となる予定でしたが、そのころ、中国が再びベトナムの侵略を狙っていたため、次期王はレ朝(レーダイハン)が勤めました。しかし、このレ朝も長くは続かなく、その後軍司令官だったリータイトーが王につきます。これがリー(李)朝のはじまりです。
ホアンキエム湖東側には大きなリータイトーの銅像が広場に立っていますが、彼は都をホアルーからここハノイに遷都しました。1010年のことです。当時ハノイはタンロンと呼ばれていて、現在世界遺産になっているタンロン遺跡が、その城跡となります。当時タンロン城は非常に広大な敷地を持っていて、城下町はここホアンキエム湖北部まで広がっていました。現在観光客が多く訪れる旧市街は、そのタンロン城の商業を支える町でした。
1802年。阮(グエン)王朝の幕開け〜フエ
1802年、阮朝の初代皇帝嘉隆帝(カリュウテイ)が中部フエに都を遷都し、1945年まで続く最後の王朝を築き上げます。ハノイは都市として発達しているものの、このころから地方都市の一つでしかなくなります。世界遺産に登録されているフエの建築物。旧市街中央に広がるのが、歴代皇帝が居城していた阮朝王宮。一方、南の新市街に広がるのが、歴代王朝の廟や別荘跡となり、こちらも世界遺産となります。阮朝は13代まで続きましたが、日本の江戸幕府とは少々異なり、中国に加えてフランスも侵略してくることになります。
阮朝後期になると、いままで宗主国だったフランスとの関係も悪化し、独立を勝ち取ろうと幾多の反乱が各地で起きます。また、第一次、第二次世界大戦も発生。フランスからの独立を支持して進駐していた日本が敗戦し、後のベトミンが起こした反政府活動、いわゆる"八月革命"により、長く続いた阮朝時代は終焉を迎えることとなります。フエの建築物では、時代によって宗主国が異なっていたため、中国風の装いであったり、西洋風の自由さがあったりと雰囲気は180度変わるのが非常に興味深いです。
ベトナムで最も大切な歴史に触れる
ベトナムの歴史上偉大な人物といえば、ホーチミン氏が真っ先に思い浮かびますが、それ以前の激動の時代を生き抜いた偉人も忘れてはなりません。現在ベトナムの主要道路には、歴史の偉人の名前が名称にあてがわれています。機会があれば、いまのベトナムを作った彼らの功績を辿るのも面白いかもしれませんね。