カンボジアといえば、地雷をイメージする人が多いですね。確かにその通りです。しかし、今回紹介するのはもう一つのカンボジアの黒の歴史。現在カンボジア国内に300以上あるといわれている「キリングフィールド」は、ポルポト政権下で殺された人々の慰霊場。これから紹介する場所はシェムリアップの中心市街地にあり、外国人も気軽に足を運ぶことができるので、時間がある方は是非立ち寄ってみてください。遺跡観光の合間や帰り際に立ち寄るのもいいでしょう。
アクセス
場所はシェムリアップの中心市街地から北上したところ。アンコールワットへ行く道中にあります。徒歩では難しいので、トゥクトゥクなど車で行くのがいいでしょう。また、こちらのキリングフィールドは現在は寺院が建てられています。パネルによる歴史背景の説明はありますが、英語が苦手な方は日本語ツアーガイドにお願いして連れて行ってもらいましょう。もし何も知らずに行ってしまったら、単なる寺院にしか見えませんので......。
国民の3分1を虐殺したポルポト政権とは
1975年当時、国民の3分1を一斉に粛清したといわれるクメールルージュ。クメールルージュとは、ポルポト政権時の反対勢力に対抗する勢力の総称です。ポルポトは農民を支持し、逆に教育を受けたインテリや識者、芸術家、研究者などを不穏分子として殺りくしました。いわゆる一般人から上流階級までほとんどを殺したのだから、その数は300万いじょうにものぼりました。当時カンボジアの人口は800~900万人なので、実に3分1の人が殺されてしまったことになります。
ポルポトが目指したのは「完全なる共産主義」。人々を恐怖で制圧しコントロールしようとしました。その政策が顕著にうかがえるのが食糧増産改革。カンボジアは当時大きな食料危機問題を抱えていましたが、他国からの信頼をなくしたポルポト政権は食料援助を受けることができませんでした。そして、ポルポトが下した命とは、まずは一般階級以上のすべての財産をはく奪し、農民へと回帰させ強制労働をさせました。少しでも犯行するのであれば躊躇なく殺しました。さらには学校、病院、工場すべてを閉鎖し、国の血液でもある貨幣も廃止しました。
その後、ベトナムがクメールルージュからの解放を大義名分に掲げて侵攻。当時ベトナムはベトナム戦争が終わり、南北統一を果たしたばかり。ベトナムの兵たちはみんながまだ現役で経験豊富だったため、イギリスや中国の支援を受けていてカンボジアでも太刀打ちができませんでした。そして、1979年にポルポトを追放することに成功しました。
現在でもカンボジア人とベトナム人の間には日本と韓国に似た軋轢があります。ベトナム人はそれほどの思いはありませんが、カンボジア人の多くはベトナムを快く思っていないようです。ベトナムとカンボジアの2国間周遊旅行をされる方も多いかと思いますが、発言にはくれぐれも気を付けてください。
現在は寺院が建立。慰霊の場へと
この寺院の敷地内からは大量の人骨が見つかっていて、ここでジェノサイドが行われていたと想定されています。現在は慰霊の意を込めて寺院を建立。また、外国人旅行者の観光名所にもなっているので、あちらこちらに説明書きがあるパネル看板が立てられています(英語)。
こちらがそのパネル看板。当時のプノンペンの様子。「3日でプノンペンの町から人が消えた」と言われるほどあっという間にクメールルージュによってさらわれてしまい、人々は農村へ連れていかれ、また毎日300人以上が粛清されていったとされています。
寺院周りには小さなお土産店がいくつかあります。また、トゥクトゥクで5分圏内のところには有名なクメール料理レストランもあるので、半日観光が終わる最後の名所として見学し、その後レストランでランチをとるのはいかがでしょうか。
キリングフィールドはこのほかにも全国各地にあり、特にプノンペンには日本人旅行者も多く訪れる慰霊塔がいくつかあります。カンボジア旅行に行った際は、その町にあるキリングフィールドを訪れてみてください。
名称:キリングフィールド(The Killing Fields)
アクセス:パブストリートの市街地からトゥクトゥクで5分から10分ほど北上
営業時間:6:00~19:00