ホイアンと日本が交流していたことを指し示す絵巻物が展示されている、日本人旅行者必見の博物館が、こちらの「貿易陶磁博物館」。別名「海のシルクロード博物館」とも呼ばれています。展示内容は、主にこの土地や沈没船から発見された陶磁器(セラミック製品)です。2階建ての民家を改築した古き香りがする内装なので、その雰囲気も楽しんでください。
アクセス
場所は世界遺産歴史保護地区の中心「チャンフー通り」沿いに位置しています。日本橋を拠点にすると、ひたすらまっすぐ進んだ左手に見える2階建ての民家です。とはいえ、この一帯は同じ造りの民家、平屋が並んでいるので、住所の番地を確認しながらでないと、見落としてしまう確率が大です。
住所は80番。チャンフー通りは偶数の番地は左、奇数は右手になるので数字は追いやすいかと思います。
博物館は当時の民家をほぼ現状維持しています。古き時代の流れを感じる柱や、中庭などは、日本と中国、ベトナムの建築様式が混ざったもの。日本の京都の建築技法がここに伝えられています。
他にも進記家やフーンフンの家など、現状保存された民家を観光名所として一般公開しているスポットもありますので、こちらも併せて立ち寄ってください。また、貿易陶磁博物館では、入場チケットを要求されます。数年前までは無料で通してくれることもありましたが、最近は厳しくなってきた模様です。
ベトナムの陶磁器は世界各国に輸出されていた
こちらはベトナムの陶磁器が世界各国で発見されたことを証明する地図。日本をはじめ、インド、アラブ、欧米地域と交易関係を結んでいたことが分かります。特に宗主国であった中国と、日本の江戸幕府とは密な仲だったようです。
ちなみに、ホイアンには現在も陶磁器の村があります。バクダン通りからボートで対岸に渡った先にある小さな村で、そこに暮らすほとんどの家が陶磁器の卸を生業にしています。こちらは観光スポットにもなっていますので、ボートの船主と交渉するか、ツアーに参加して行くことができます。
陶磁器発掘の貴重な写真
展示物は約100点。ショーケースの中には、陶磁器が展示されています。こちらは、このホイアン一帯で発掘されたもの。中にはトゥボン川近郊で沈没した船を引き上げた際に見つかった陶磁器もあります。その上には、ホイアンでの発掘の様子の写真が展示されています。この発掘には日本人も参加していて、そのときの写真もありますので、是非ご覧ください。
日本とベトナムが交易していた証拠
当博物館で最も注目してほしいのがこちら。ただの絵巻物ではなく、日本とホイアンとの繋がりを証明する絵巻です。17世紀当時。日本はみなさんもご存知の江戸時代でした。つまり、徳川家康公が築いた徳川幕府の時代ですね。その家康は、ホイアンとの交易も積極的に行っていて、何度も朱印船を派遣していました。先ほど、トゥボン川で沈没した船を引き上げたさいの陶磁器も見つかったと説明しましたが、この沈没船には日本の朱印船も含まれています。
この絵巻物は当時のホイアン。日本人のような風貌の人が歩いていますが、こちらはおそらく日本人でしょう。当時最盛期には、ここホイアンに1000人以上の日本人が暮らしていたと言われています。まだまだ不明な点も多いですが、日本の伊勢うどんや京都の建築技法などがしっかりと伝わっていることから、あながち大袈裟でもないかもしれません。
日本の陶磁器や印鑑、古銭などが交易品としてホイアンに伝えられたと同時に、日本にはベトナムのセラミック製品が各地に輸入されました。それは沖縄、博多、長崎、福岡、大宰府、大阪、広島と多岐にわたります。
ただし、そののち、家康は鎖国をはじめ、外交を閉ざしてしまい、日本との交流は途絶えてしまいました。そのほか、中国では国内でベトナムのセラミック技術を上回る陶磁器が次々と作られて、こちらも衰退の一途を辿ることになります。
こうして、ホイアンに残ったのは古き民家と、中国人が造った集会所、そしてそこに根付いた華僑の人々のみとなりました。しかし、その町並みは1999年にユネスコ世界遺産に登録され、ホイアンの歴史は今もなおこうして語り継がれています。
<DATA>
名称:貿易当時博物館
住所:80 Tran Phu St. Hoi An
営業時間:7:00〜18:00